日光駅は、栃木県日光市相生町に位置する、JR東日本日光線の終着駅です。日光東照宮や中禅寺湖、華厳の滝といった世界的にも名高い観光地への玄関口として、長い歴史の中で多くの人々を迎えてきました。単なる交通施設にとどまらず、その駅舎自体が重要な観光資源となっており、訪れる人々に強い印象を与えています。
日光駅は、1890年(明治23年)8月1日、日本初の民営鉄道会社である日本鉄道によって開業しました。開業当日は、小松宮彰仁親王の臨席を仰いで盛大な式典が行われるなど、当時から日光が国家的にも重要な観光地として位置づけられていたことがうかがえます。明治期の日光は、皇族や華族、そして外国人観光客が多く訪れる国際的な保養地でした。
1906年(明治39年)には日本鉄道が国有化され、国有鉄道の駅となります。さらに1909年(明治42年)には路線名称が制定され、当駅は日光線の終点としての役割を明確にしました。
現在の駅舎は、1912年(大正元年)に完成した2代目駅舎です。木造2階建ての洋風建築で、部分的に宇都宮産の大谷石が用いられています。建築様式はネオ・ルネサンス様式を基調とし、北ヨーロッパの建築技法であるハーフティンバー様式を取り入れた優美な外観が特徴です。
左右対称の端正な姿と、白亜の外壁から、日光駅舎はいつしか「白い貴婦人」と呼ばれるようになりました。夜になるとライトアップされ、昼間とは異なる幻想的な雰囲気をまとい、訪れる人々を魅了します。この駅舎は「明治時代の面影を残す白亜の木造建築の駅」として高く評価され、関東の駅百選にも選定されています。
日光駅舎の設計者については、長年不明とされてきました。一時は、帝国ホテルを設計した世界的建築家フランク・ロイド・ライトの作ではないかという説まで流れたほどです。しかし、2007年に近代化産業遺産群に選定された際、駅舎天井裏から棟札が発見されたことをきっかけに、鉄道院技手であった明石虎雄が設計に関わった可能性が高いとされるようになりました。
一方で、当時の明石虎雄の年齢や実績から、別の人物、すなわち宣教師としても活動したアメリカ人建築家ジェームズ・マクドナルド・ガーディナーが設計者ではないかとする説も根強く残っています。いずれにせよ、この駅舎が日本における洋風木造建築の優れた遺構であることに疑いはなく、完成から100年以上を経た現在もなお、その価値は色あせていません。
日光駅舎の1階には、かつて皇族や要人が利用した貴賓室が設けられています。1922年(大正11年)には、イギリス皇太子の来訪に合わせて改装され、大理石の暖炉やシャンデリアを備えた格調高い空間となりました。現在は一般公開されていませんが、その存在自体が駅の格式を物語っています。
2階には、旧一等待合室である「ホワイトルーム」があります。大正ロマンを感じさせるこの空間は、現在では駅ギャラリーとして一般に開放され、写真展や企画展示などが行われています。列車を待つ時間に、歴史ある空間でゆったりと過ごせる点も、日光駅ならではの魅力です。
1929年(昭和4年)には東武鉄道が東武日光駅まで開通し、国鉄と東武による競争の時代が始まりました。1959年(昭和34年)には日光線が電化され、準急「日光」が運転を開始するなど、利便性向上が図られましたが、時代の流れとともに運行体系は変化していきます。
近年では、JR東日本と東武鉄道の相互直通運転が行われ、観光列車や臨時特急が日光エリアを訪れています。また、2017年には豪華寝台列車「TRAIN SUITE 四季島」の停車駅となることに合わせ、駅舎の大規模改修が実施されました。
現在の日光駅は、宇都宮駅との間を結ぶ普通列車が主に発着する駅ですが、修学旅行シーズンには首都圏からの団体列車が到着するなど、今なお観光拠点として重要な役割を担っています。エレベーターの設置やICカード「Suica」への対応など、歴史的建築を守りながらも、現代的な利便性が整えられています。
日光駅は、列車を降り立った瞬間から、日光観光の始まりを実感させてくれる存在です。明治・大正の趣を今に伝える白亜の駅舎、皇族や外国人を迎えてきた歴史、そして現代へと受け継がれる観光拠点としての役割。そのすべてが重なり合い、日光駅は「駅そのものが観光名所」と呼ぶにふさわしい魅力を放っています。日光を訪れる際には、ぜひ駅舎にも目を向け、その歴史と美しさをじっくり味わってみてください。