奥日光の中心に位置する中禅寺湖は、約2万年前に男体山の噴火によってできた溶岩が渓谷をせき止め形成された堰止湖で、海抜高度1,269メートルに位置し、日本でも屈指の高さを誇る湖です。
湖は透明な水を湛え、周辺は四季折々の美しい景色を楽しむことができます。特に初夏のツツジや秋の紅葉が見事です。
日本百景にも選ばれており、湖畔には日光二荒山神社中宮祠や日光山中禅寺(立木観音)、中禅寺温泉、華厳滝、竜頭滝、戦場ヶ原など、奥日光を代表する見どころが数多くあります。
キャンプ場や貸しボート、遊覧船なども湖畔にあり、アウトドアレジャーを楽しむこともできます。大きなホテルや旅館、みやげ屋が立ち並んでいて、年間を通して多くの人々が訪れる人気の観光スポットです。
穏やかな気候のため、明治から昭和初期にかけては外国人の避暑地としても人気を集めました。
その広さは東西約6.5キロメートル、南北約1.8キロメートル、周囲は約25キロメートルで、最大水深は163メートルあります。
海抜高度1,269メートルとなっており、人造湖を除く、面積4平方キロメートル以上の湖として、日本で最も高所に位置する湖です。
遊覧船に乗って湖上からの景色を楽しむのもおすすめです。紅葉の時期には「紅葉廻り」コースの遊覧船も運行されます。ぜひ、中禅寺湖で素晴らしい自然の美しさを満喫してください。
紅葉の見頃は一般的な目安として、湯ノ湖・湯滝が10月上旬から中旬、光徳牧場が10月中旬(紅葉)や10月下旬(黄葉・カラマツ)、戦場ヶ原・小田代原が9月下旬から10月上旬(草紅葉)や10月中旬から中旬(紅葉)や10月下旬(黄葉・カラマツ)、竜頭滝が10月上旬から中旬、中禅寺湖が10月中旬から下旬、華厳滝が10月中旬から下旬、いろは坂が10月中旬から下旬となっています。ただし、見頃は年によって異なる場合もあるため、お出かけ前には事前にお問い合わせいただくことをおすすめします。
この湖一帯は、山岳信仰の聖地として知られ、長い間女性の立ち入りが禁止されていました。周辺には多くの歴史的な遺跡や伝説が残っています。
中禅寺湖畔ボートハウス
中禅寺湖畔に建つ、美しい風景の中で楽しめる休憩施設です。このボートハウスは、昭和22年(1947年)に米国の水辺リゾート地をモデルに建設されました。建物は当時の姿を忠実に再現するように復元されました。
1階の艇庫に展示されているボートは、かつて中禅寺湖畔にあるベルギー王国大使館別荘が所有していたもので、平成21年(2009年)に栃木県が寄贈を受け修復しました。
湖上にはデッキがあり、素晴らしい眺めを楽しむことができます。また、売店ではオリジナル商品も取り扱っています。
中禅寺湖クルージング
美しい景色を堪能するための遊覧船です。四季折々の自然の美しさを間近で見ることができ、男体山や白根山、イタリア大使館別荘記念公園、日光山中禅寺立木観音、日光二荒山神社中宮祠、菖蒲ヶ浜などの名所や、湖畔の新緑や紅葉の美しさを満喫できます。
中禅寺湖を周遊するコースの他にも、複数のコースがあり、好みに合わせて選ぶことができます。船内では観光案内のナレーションがあり、初めて訪れる方にもおすすめです。
中禅寺湖は、日光国立公園内に位置する湖で、日本の湖沼では25番目に広い面積を持っています。
この湖は約2万年前に男体山の噴火によって形成された堰止湖であり、日本で最も標高の高い場所にある湖です(面積4km2以上の人造湖を除く)。また、栃木県最大の湖でもあります。
周囲を一周するには約25kmかかるため、歩いて巡るには約9時間の時間が必要です。湖の北には男体山がそびえ立ち、北西には戦場ヶ原が広がっています。
中禅寺湖は現在は観光地として知られていますが、かつては日光山を開いたとされる勝道上人によって発見された湖であり、信仰と修行の場として重要視されていました。湖岸から約100m離れた上野島には、勝道上人の遺骨の一部が納められています。
湖の南側には細長い半島である八丁出島があり、紅葉の名所としても知られています。また、薬師堂跡と呼ばれる場所ではかつて薬師如来が祀られていたと伝えられています。中禅寺湖は日本百景にも選定されています。
遊覧船が運行されており、湖上から湖畔の美しい景色を楽しむことができます。
かつては魚が生息していなかった中禅寺湖ですが、明治時代から放流が行われ、現在ではマス類やコクチバス、ワカサギ、ウグイ、コイ、フナ、ヒメマス、ホンマスなど24種類の魚が生息しています。
特にヒメマスは湖で繁殖した稚魚が放流され、地引き網などで捕獲され、地域の特産品や観光資源として重要な役割を果たしています。なお、ホンマスはヤマメとビワマスの交雑種とされています。
人間史
明治以前
782年(天応2年)、勝道上人が男体山の登頂時に中禅寺湖を発見したと言われています。その後、勝道は湖畔に神仏を祀り、784年には神宮寺(後の中禅寺)を建立し、信仰と修行のための「霊場」を整えました。当初、中禅寺は現在の日光二荒山神社・中宮祠のある場所にあり、湖上で勝道が見た千手観音(立木観音)が祀られていました。
817年(弘仁8年)、勝道が亡くなった後、彼と中禅寺湖の縁が深かったため、湖岸から約100メートル離れた場所に上野島が作られ、彼の一部の遺骨が納められました。
明治以後
1873年には、水産庁増養殖研究所によって初の放流が行われ、下流域の河川に生息していたイワナが放たれました。
1876年(明治9年)には、明治天皇が中禅寺湖を訪れ、「幸の湖」と名付けました。1878年(明治11年)には、イザベラ・バードが中禅寺湖を絶賛し、湖面に映る男体山や紅葉の美しさを手紙に綴りました。
1902年(明治35年)には、大山津波により中禅寺は被害を受けましたが、千手観音(立木観音)は湖上で無傷のまま浮かび、再建された中禅寺で祀られ続けることとなりました。同年にはカワマスも放流されました。
1906年には、十和田湖からヒメマスが放流されました。
明治中期から昭和初期にかけて、中禅寺湖周辺には欧米各国の大使館別荘が建設され、外交官たちが避暑に訪れるリゾート地となりました。
1943年には、「幸の湖下流用水改良事業」が完成し、中禅寺湖の水が栃木県や茨城県へと灌漑用水として供給されるようになりました。
戦後
第二次世界大戦の影響で観光地は一時的に衰退しましたが、戦後、いろは坂の開通によりアクセスが容易になり、春の新緑や秋の紅葉などで人気を博すようになりました。
1963年には、中禅寺湖漁業協同組合が設立され、マス類を中心に放流が行われ、放流と自然繁殖によって資源が維持されるようになりました。
1980年代からは湖水に泡や黄色鞭毛藻類の増殖が見られ、淡水赤潮現象の発生が報告されました。これにより湖水を利用する水道水に異臭が生じるなどの現象も発生しました。
1990年代初頭以降、ヒメマスの遡上数が原因不明の減少傾向を示し、かつての1万尾から2007年には1000尾未満となりました。
散策自由
散策自由
無料
電車・バス:JR日光線 日光駅・東武日光線 東武日光駅から東武バス中禅寺温泉行きまたは湯元温泉行きで約45分「中禅寺温泉」下車徒歩約5分
車:日光宇都宮道路 清滝ICから約25分