日光東照宮は、江戸幕府初代将軍・徳川家康の霊を祀る神社で、陽明門に代表される華やかな建築物で知られています。これは神仏混合の様式を取り入れた、他に類を見ない建築です。久能山東照宮・上野東照宮と共に三大東照宮の一つに数えられ、5件8棟の建造物が国宝に指定され、34棟が重要文化財に指定されています。
日光東照宮(にっこうとうしょうぐう)は、関東地方北部の栃木県日光市に所在する神社です。江戸幕府初代将軍・徳川家康を神格化した東照大権現(とうしょうだいごんげん)を主祭神として祀る、日本全国の東照宮の総本社的存在です。正式名称は「東照宮」ですが、他の東照宮との区別のために「日光東照宮」とも呼ばれています。
隣接する仏教寺院の輪王寺は、勝道による日光山開山を奈良時代の天平神護2年(766年)とする。その後、関東地方の霊場として尊崇を集め、鎌倉幕府創始者の源頼朝からも寄進を受けました。こうした歴史を背景に、徳川氏は東照宮を造営したと考えられます。
輪王寺、日光二荒山神社を含めた二社一寺は、「日光の社寺」としてユネスコ世界文化遺産に登録されています。JR日光駅、東武日光駅にかけて門前町が形成され、多くの参拝者や観光客が訪れます。
江戸時代の元和2年4月17日(1616年6月1日)、徳川家康は駿府(現在の静岡市)で死去しました。遺命によって遺骸は直ちに駿河国の久能山に葬られ、同年中に久能山東照宮の完成を見ましたが、翌年に二代将軍秀忠が天海僧正に命じて下野国日光に改葬されました。
家康が日光に祀られることになったのは、家康本人の遺言からです。金地院崇伝の日記『本光国師日記』には「遺体は久能山に納め、一周忌が過ぎたならば日光山に小さな堂を建てて勧請し、神として祀ること。そして、八州の鎮守となろう」と残されています。
家康は、不動の北辰(北極星)の位置から徳川幕府の安泰と日本の恒久平和を守ろうとしました。元和4年(1618年)には福岡藩の初代藩主・黒田長政によって寄進された石鳥居が建立され、寛永13年(1636年)には3代将軍・徳川家光が日光社参し、寛永の大造替が行われました。
日光東照宮の建物には様々な動物の木彫像が見られ、ほとんどは平和を象徴しています。眠り猫は家康を護るために寝ていると見せ掛けているとも言われますが、もう一つの教えとして「猫も寝るほどの平和」を表しています。
神厩舎には猿の彫刻を施した8枚の浮彫画面があり、猿が馬を守る動物であるという伝承から用いられています。これらの彫刻は、日光東照宮の象徴として知られ、「見ざる、言わざる、聞かざる」で有名な三猿もこの神厩舎に造られたものです。
日光東照宮の陽明門は、建物全体が極彩色彫刻で覆われ、「日暮御門」と称されています。陽明門は、三間一戸楼門で、規模は桁行(間口)が約7メートル、梁間(奥行)が約4メートル、棟までの高さが約11メートルです。
屋根は入母屋造、銅瓦葺きで東西南北の各面に唐破風を付します。正面唐破風下には後水尾天皇宸筆の「東照大権現」の勅額があります。柱、貫などの軸部材は胡粉塗で白く仕上げ、要所に鍍金金具を嵌め、彫物には中国の故事や伝説上の仙人が描かれています。
初層組物間には人物像の装飾彫刻があり、中国伝説や故事に取材したものが多く、鳥獣の彫刻には吉祥的意味合いを持つものが多いです。陽明門の組物の仕上げは初層と同様で、斗や肘木を黒漆塗とし、稜線部に金箔を押し、牡丹唐草文の沈金彫を施しています。
日光東照宮は、徳川家康を「神」として祀る社殿において、様々な象徴的意味を担っています。彫刻や建造物の細部には歴史的、文化的な意義が込められており、日本の建築技術と芸術の粋を集めた場所です。
また、日光東照宮は日本の歴史や文化を理解する上で重要な役割を果たしており、訪れる人々にその壮大さと美しさを伝え続けています。
拝観時間
4月~10月 9:00~17:00
11月~3月 9:00~16:00
拝観料
大人・高校生 1,300円
小・中学生 450円
鉄道:
東武日光線・東武日光駅、JR日光線・日光駅
駅から東武バス日光の中禅寺温泉・湯元温泉方面、奥細尾行きおよび「世界遺産めぐり循環バス」を利用し、西参道下車。
関東自動車の一般路線バス・JR宇都宮駅 - 東武駅前~日光駅前(JR・東武)~日光東照宮行きに乗車、終点で下車となる。