日光山の開祖である奈良時代の僧・勝道上人は、前人未到の男体山の頂上(標高2,486m)に到達した後、延暦3年(784年)に中禅寺を建立し、修行の場としました。
当初は男体山の登拝口の方にありましたが、明治35年(1902年)の大山津波をきっかけに、中禅寺湖の歌ヶ浜に移転しました。
中禅寺は坂東三十三観音霊場の第十八番札所に位置し、立木観音や波之利大黒天など、特徴的な仏像が祀られています。
日光山輪王寺の別院であり、日本国の重要文化財に指定されている日光山開山の祖である勝道上人が彫った十一面千手観音菩薩が祀られています。
この観音像は、勝道上人が中禅寺湖上で千手観音様の姿を目にし、一本の桂の木に立木のまま胴体部分が彫られたもので、立木観音として知られています。
この観音像は、明治35年に発生した大山津波によって一度中禅寺湖に沈んでしまいましたが、奇跡的に浮き上がり、引き上げられたと伝えられています。この場所は、力強さと優しさを感じることができる、希望に満ちた存在です。
また、中禅寺では写経や写仏を気軽に体験することができます。
中禅寺(ちゅうぜんじ)は、栃木県日光市の中禅寺湖畔・歌ヶ浜に位置する天台宗の寺院です。世界遺産に登録された輪王寺の別院であり、坂東三十三観音霊場の18番目として知られています。
寺伝によれば、784年(延暦3年)に日光山の開祖である勝道上人が中禅寺湖を船で遊覧している最中に、湖上に千手観音の姿を感じ取り、桂の木に立木のまま千手観音像を刻んだとされています。この「立木千手観世音菩薩」を本尊として、中禅寺が創建されました。
最初は男体山の登拝口近くに建てられ、二荒山神社の神宮寺とされていました。本尊は本寺の観音堂に祀られ、源頼朝が寄進した四天王像も祀られていました。
当時、日光は女性が立ち入ることが許されない場所であり、女性はいろは坂の途中にある「女人堂」から本尊を遥拝することができました。
1141年(康治元年)には藤原敦光が「中禅寺私記」を著し、1315年(正和4年)には仁澄によって大規模な造営が行われました。
1872年(明治5年)に神仏分離が行われ、中禅寺は輪王寺の別院となりました。また、女人禁制も解かれました。
1902年(明治35年)には大山津波による被害を受け、現在の場所に再建されました。この際には観音堂が湖上に押し流されましたが、本尊は無傷のまま湖上に浮かび、現在の観音堂に祀られることとなりました。
さらに、1969年(昭和44年)には勝道上人開山1200年記念事業として五大明王堂が建設されました。
境内の御堂
立木観音(千手観音立像)
重要文化財として指定された木造の千手観音立像が、立木観音堂に安置されています。この像の高さは約6メートルで、1914年に古社寺保存法に基づいて国宝(現在は重要文化財に相当)に指定されました。
伝承によれば、勝道上人が延暦年間に立木に彫刻したとされ、そのために立木観音と呼ばれています。彫刻の際には「一刀三禮彫り」という方法で、ノミを入れるたびにお経を三回読んだと言われています。作風や技法から推定される実際の製作年代は平安時代後期です。
この立木観音像は、カツラ材で一木彫りされており、手などの一部は別の材料を組み合わせて作られています。
1902年の暴風雨による男体山の山津波によって中禅寺湖に流されましたが、3日後に奇跡的に浮かび上がり、現在の中禅寺湖東岸に安置されました。この出来事から、苦難や災難を乗り越える力を持つと信じられ、多くの信仰を集めるようになりました。
4月~10月 8:00~17:00
11月・3月 8:00~16:00
12月~2月 8:30~15:30
無休
大人 500円
小中学生 200円
電車・バス:JR日光線 日光駅・東武日光線 東武日光駅から東武バス 中禅寺温泉または湯元温泉行きで約45分「中禅寺温泉」下車徒歩約20分
車:日光宇都宮道路 清滝ICから約25分