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清巌寺(宇都宮市)

(せいがんじ)

清巌寺は、栃木県宇都宮市大通り五丁目に位置する浄土宗の古刹で、山号は芳宮山、本尊は阿弥陀如来です。鎌倉時代に宇都宮氏によって創建された念仏堂を起源とし、その後の戦国期に芳賀氏の手によって現在地へと移築され、正式に清巌寺として整えられました。境内には国の重要文化財である鉄塔婆をはじめ、歴史的に貴重な文化財が数多く残されており、宇都宮市を代表する歴史寺院として知られています。

鎌倉時代に始まる清巌寺の起源

宇都宮頼綱と念仏信仰

清巌寺の源流は、宇都宮家第5代当主・宇都宮頼綱が1215年(建保3年)に創建した念仏堂にあります。頼綱は、幕府から謀反の嫌疑をかけられた後、熊谷直実(蓮生入道)の勧めによって浄土宗の宗祖・法然に帰依し、出家しました。念仏への深い信仰を持った頼綱は、京にも念仏堂を建立しており、この宇都宮の念仏堂もその一環で建立されたものです。これが後に清巌寺の歴史の始まりとなりました。

芳賀氏による現在地への移築

戦国時代に入ると、宇都宮家の重臣である芳賀高継が、兄・高照の菩提を弔うため、宿郷町にあった念仏堂を1573年(天正元年)に現在地へと移築しました。この際、「芳賀氏」の「芳」から山号を「芳宮山」、「高照」から院号を「高照院」、そして清原氏の「清」を取り「清巌寺」と名づけられました。現在の寺としての体制が整ったのはこの時期とされています。

江戸時代以降の発展

江戸時代には、初代関東郡代の伊奈忠次から朱印地25石の寄進を受け、寺としての基盤を固めました。宇都宮城下に位置し、多くの人々の信仰を集める寺院として地域の宗教生活に深く関わっていきました。

清巌寺の境内と見どころ

歴史を伝える伽藍

清巌寺の境内には、本堂をはじめ、呑竜堂、客殿、鐘楼、山門、中門などが整い、落ち着いた寺院風景を作り出しています。境内の各所には宇都宮家や芳賀氏ゆかりの墓碑が残され、寺の歴史的重みを感じることができます。

銅鐘と鐘楼

1751年に鋳造された銅鐘は、戸室将監藤原元蕃による作品で、その音色は地域の人々に親しまれてきました。鐘楼に安置された銅鐘は見応えがあり、清巌寺の長い歴史を象徴する文化財のひとつです。

子育地蔵尊

境内には子育地蔵尊が祀られ、地域の子どもたちの健やかな成長を祈る場としても親しまれています。

重要文化財「清巌寺鉄塔婆」

現存する日本最古の鉄製塔婆

清巌寺の象徴ともいえる鉄塔婆は、鎌倉時代に鋳造された現存最古の鉄製塔婆で、国の重要文化財に指定されています。これは宇都宮家第8代当主・宇都宮貞綱が母の十三回忌供養のために1312年に建立させたものと伝わります。

塔婆の構造と意匠

塔婆は高さ332.7cm、幅32cm、厚さ5.2cmの大きさで、鉄製の板塔婆としては他に例を見ない規模です。上部は山形に作られ、その下には種子「キリーク」、さらに下には阿弥陀三尊の来迎図が鋳出され、下部には願主の思いを綴った偈文が刻まれています。この精巧な鋳造技術は鎌倉時代の工芸の高さを象徴しています。

移設と修復の歴史

元々は宇都宮家の菩提寺である東勝寺に奉納されましたが、廃寺となった後に清巌寺へ移されました。1849年の暴風で倒壊しましたが、明治時代に修復され、その後は1997年に新設された温湿度管理施設「鉄塔婆収蔵庫」に安置され、現在も良好な状態で保存されています。

その他の文化財とゆかりの品

木造阿弥陀如来坐像

市指定文化財である木造阿弥陀如来坐像は、もともと京都の知恩院にあったもので、戊辰戦争で清巌寺の本尊が焼失した際に寄進されたものです。穏やかな表情を持つ坐像は、訪れた人々の心を静かに和ませてくれます。

清巌寺へのアクセス

バスでのアクセス

JR宇都宮駅西口から各方面へ向かうバスに乗車し、最寄りの「上河原」バス停で下車後徒歩約3分。また、市内循環線「きぶな」からは「宇都宮記念病院前」バス停が便利で、下車後徒歩約1分です。

徒歩でのアクセス

JR宇都宮駅から徒歩約10分、東武宇都宮駅からは徒歩約15分と、市街地から近く訪れやすい立地です。

Information

名称
清巌寺(宇都宮市)
(せいがんじ)

宇都宮

栃木県