石の里に位置する、天然の洞穴に囲まれた非常に珍しいお寺です。このお寺は古代の横穴式住居跡に建てられており、国内でも優れた洞窟寺院として知られています。
神秘的な本堂内には自然の岩壁に彫られた美しい磨崖仏が10体あります。これらの磨崖仏は全て国の特別史跡かつ重要文化財として指定されています。
※磨崖仏(まがいぶつ)は、石仏の一種で、自然の岩壁や露岩、あるいは転石に造立された仏像です。
特に注目すべきは大谷観音とも呼ばれている、大谷寺の本尊の高さ4メートルある凝灰岩の岩壁に彫られた千手観音像です。これは日本最古の石仏とされ、平安時代の810年に弘法大師によって作られたと伝えられています。
鎌倉時代には坂東地方の19番目の霊場として、多くの人々に崇敬されてきました。最初は岩の表面に直接彫刻され、赤い朱塗りと粘土の細かな装飾が施され、さらに漆で仕上げられ、一番外側には金箔が押されて金色に輝いていました。
千手観音像には、千本の手と千の眼があります。手のひらにも目があり、常に私たちを見守っています。
大谷寺の洞窟からは、古代の横穴式住居として縄文時代の人々が生活していた痕跡が見つかっており、併設された宝物館では、横穴式住居から発見された約11,000年前の縄文時代の人骨と推定される遺物が展示されています。
大谷磨崖仏は、その歴史的な価値と文化的な重要性から、国の特別史跡としても指定されています。
大谷寺は、宇都宮市大谷町に位置し、天台宗の寺院です。山号は天開山で、院号は浄土院となっています。本尊は千手観音であり、坂東地方の三十三観音霊場の19番目の札所として知られています。
凝灰岩の山の西南側にある洞穴の壁面に造立された石心の塑像である「大谷磨崖仏」は、千手観音像、伝釈迦三尊像、伝薬師三尊像、伝阿弥陀三尊像の4組10体の石心塑像が4区に分かれて彫出されています。
学術的に非常に価値の高い石仏とされ、国の特別史跡および重要文化財に指定されています。
歴史
大谷寺は、日本でも有名な洞窟寺院であり、大谷石凝灰岩層の洞穴内に堂宇が建てられています。その本尊は、凝灰岩の岩壁に彫られた高さ約4.5メートルの千手観音で、一般的には「大谷観音」として知られています。
この寺の周辺には、縄文時代の人々の生活の痕跡が見つかること(大谷岩陰遺跡)や、810年(弘仁元年)に空海(弘法大師)が千手観音を刻んで寺を開いたという伝承が残っていることから、千手観音が造られたのは平安時代中期であり、周辺の住民たちの信仰の地として栄えていたと推定されています。
こうして平安末期には、現在残る主要な磨崖仏のほとんどが完成し、鎌倉時代初期には鎌倉幕府によって坂東三十三箇所の一番札所とされたと考えられています。
鎌倉時代には、大谷寺は宇都宮社の神職であり、鎌倉幕府の有力御家人でもあった下野宇都宮氏の保護を受けて繁栄したとされています。
1965年の大谷寺の発掘調査では、鎌倉時代の懸仏や1363年に奉納された経石、1551年と記された銅椀などが出土しています。しかし、下野宇都宮氏が豊臣秀吉によって改易されると、一時的に衰退しました。
しかし、江戸時代に入り、奥平忠昌が宇都宮城の第29代城主に再封された後の元和年間(1615年-1624年)、慈眼大師天海の弟子である伝海が藩主忠昌の援助を受けて堂宇を再建しました。
天海僧正は天文年間に宇都宮城下の粉河寺で修行し、徳川幕府が樹立された後、徳川家康とその後の将軍たちの援助により、上野寛永寺や日光山の堂宇再建も行っていました。
その後も、宝永年間には諸侯の援助を受けて堂宇の建立が行われましたが、後に発生した火災で多くの堂宇が焼失しました。
夏季(4月~9月)8:30~16:30
冬季(10月~3月)9:00~16:30
木曜日(祝日は営業)
毎年12月26日~31日
大人 500円
中学生 200円
小学生 100円
JR宇都宮駅から関東バス立岩行で約30分「大谷観音前」下車徒歩2分
東北自動車道 宇都宮ICから約15分