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大谷資料館

(おおや しりょうかん)

圧巻の巨大な空間!石採石場、地下採掘場跡

大谷石の採掘場を利用した地下博物館です。大谷石という名前は知らない人でも、その石の質感にはどこかで覚えがあるはずです。

この石は昔から住宅や塀などの建築素材として使われてきましたが、どこでどのように採掘されているのかは、ここでしか見ることができない貴重な体験です。

資料館では、大谷石の採掘の歴史が分かる展示が行われています。手堀り時代の道具や採掘方法、運搬の変遷など、江戸時代中期から昭和34年頃までの資料が展示されています。

資料館の見どころは、地下採掘場跡です。そこは広さ2万平方メートルに及ぶ巨大な空間で、深さは30メートルで、最も深い場所では地下60メートルにも達します。

通常の坑内の平均気温は約8℃前後です。切り出された石は約1000万本あり、まさに地下の巨大な建造物のような感じです。

この幻想的な地下空間では、コンサートや演劇、ショー、能楽、結婚式などのイベントも行われています。また、映画やドラマの撮影にも利用されています。

大谷石の採石場跡と周囲の緑が調和し、独特の景観が広がっています。

主な展示内容は以下の通りです。

大谷の地質
大谷石の採掘方法と形態
大谷石地下採掘場跡(巨大地下空間)
石の搬出と輸送の変遷

さらに、一般の展示に加えて、コンサートや猿楽、映画会、観劇、美術展、ダンスパフォーマンス、セミナーなどの文化イベントが行われています。

また、映画やテレビドラマ、テレビCM、プロモーションビデオの撮影も行われています。

毎年、大谷でのフェスタ会場としても利用され、地下空間ではプロジェクションマッピングなどのイベントも開催されます。

大谷石と地下採掘場の歴史については、古墳時代には石棺の材料として大谷石が使われており、8世紀には下野国分寺・下野国分尼寺の建築にも大谷石が使用されました。

また、宇都宮市の大谷寺には平安時代の制作である磨崖仏があり、その本尊である千手観音も大谷石で彫られています。

大谷石(おおやいし)は、宇都宮市北西部の大谷町周辺で採掘される軽石凝灰岩の石材です。その柔軟性と加工しやすさから、古くから外壁や土蔵などの建材として広く利用されてきました。現在でも、蔵の壁面などで使用されています。

大谷石の基質は、浮石質ガラス、斜長石、石英が主成分であり、わずかに黒雲母角閃岩輝石も含まれています。また、珪酸、第二酸化鉄、酸化アルミニウム、酸化マンガン、石灰、酸化マグネシウム、カリウム、ナトリウムなどの成分も含まれています。

大谷石は、日本列島がまだ海中にあった新生代第三紀中新世の前半に、火山が噴火して噴出した火山灰や砂礫が海水中に沈殿し、それが凝固して形成されたものと考えられています。

大谷町周辺では、大谷石の分布が東西に4キロメートル、南北に6キロメートルにわたっています。採石場は2009年時点で12か所あり、年間の出荷量は約2万トン程度で、推定される埋蔵量は約6億トンです。

一部の地域では露天掘りが行われていますが、多くは地下数十メートルから100メートル以上の深さで坑内掘りが行われています。昭和40年代の最盛期には約120か所の採石場が活動していました。

栃木県には大谷石と類似した石材が多く分布しており、それぞれの産地にちなんで長岡石、深岩石、岩舟石、茂木石などと呼ばれています。

大谷石は、軽くて柔らかいため加工が容易であり、耐火性や防湿性にも優れています。そのため、住宅のかまどや石塀、防火壁、門柱、敷石など多岐にわたる用途で使用されています。

また、耐火性と蓄熱性の高さから、パンやピザの焼き窯や石釜の構造材としても利用されています。岩盤工学の分野では、取り扱いのしやすい材料として実験試料にも利用されています。

宇都宮周辺の産地では、縄文時代の竪穴建物で炉石として使われていたことが確認されています。大谷石は、石蔵をはじめとする建築物の外壁や鉄道駅のプラットホーム、石垣、階段、門柱などに広く利用されています。

宇都宮駅にはテレビ番組との連携で設置された餃子像や、1932年に建設された宇都宮カトリック教会(通称:カトリック松が峰教会)も大谷石で造られています。また、下野国分寺や宇都宮城など、地元の歴史的建造物の築造にも昔から使用されてきました。大谷石の独特な風合いが広く知られるようになったのは、アメリカの建築家フランク・ロイド・ライトが帝国ホテル旧本館(東京)で使用したことからです。

大谷石は地下から切り出した直後は水分が多く、青みがかっていますが、乾燥すると茶色がかった白色に変わります。

表面に見られる茶色の斑点は「ミソ」と呼ばれ、多孔質の石材の中に含水量の多い沸石やモンモリロン石の粘土鉱物から成る蛋白石鉄塩鉱物が存在していると考えられていますが、その成分の由来には諸説があります。大谷石ではミソの部分が劣化しやすく、他の部分よりも劣化速度が速いです。

多孔質の性質から、野外で風雨にさらされると劣化が早くなりました。特に戦後はコンクリートの普及により使用が減少しました。特に民家の外壁に使われた場合、雨や雪を吸水して膨張・収縮を繰り返し、劣化、黒変、剥離が起こることがあります。

しかし近年では、2cm程度の薄いスライス技術の開発や、見た目の美しさが再評価されています。さらに、吸湿や消臭、音響効果があることも分かってきており、住宅や店舗の内装、音楽ホールなどへの利用が広まっています。


地下空洞の利用
操業を終えた採石場跡には、広大な地下空洞が残っており、それらはワインや日本酒、納豆などの貯蔵・熟成に利用されています。また、大谷資料館として観光・学習施設としても活用されています。非日常的な景観を求めて、映画のロケ地やパーティ、展示会などにも活発に利用されています。

採掘方法
大谷石の採掘には、「平場掘り」と呼ばれる地表から下へ掘り進める方法と、「垣根掘り」と呼ばれる立坑から横へ掘り進める方法の2つがあります。大谷地域の地層は、利用価値の高い石材の層と利用価値の低い層が交互に存在しているため、垣根掘りは明治末期から大正初期に伊豆長岡(現在の伊豆の国市)から伝わり、画期的な採掘方法として採用されました。

また、露天掘りと坑内掘りの2つの採掘方法があり、坑内掘りはさらに「柱房式」と「長壁式」という2つの方法に分かれます。

手掘り時代
機械化される以前の手掘り時代には、つるはしが採掘に使用されていました。手掘りによる採掘法では、五十石と呼ばれる大きさの石を1本掘るために約4,000回もつるはしを振る必要がありました。1人の採掘量は1日に約10本ほどでした。この手掘りによる採掘は、採掘方法が機械化される1960年頃まで続けられました。

機械化後
大谷石の発掘が機械化されたのは、1952年からであり、1960年頃には機械が大谷地域全体に普及しました。機械による採掘法では、1人で1日に50本の大谷石(大きさ: 150×300×900mm)を採掘することが可能です。

運搬
手掘り時代には、地下の深い採石場から石を背負って運び出す必要がありました。石塀に使用される1本の石(50石)は約70kgもあり、重いものでは140kgの石まで1人で運び出していたと言われています。運び出された石は馬車やトロッコ、船舶を使って遠くまで運ばれました。現在では、地下の深い採石場からはモーター・ウィンチという機械を使用して石を巻き上げ、トラックや貨物列車を利用して全国各地に運搬されています。

Information

名称
大谷資料館
(おおや しりょうかん)
リンク
公式サイト
住所
栃木県宇都宮市大谷町909
電話番号
028-632-2445
営業時間

4月〜11月 9:00〜17:00
12月〜3月 9:30〜16:30

定休日

4月〜11月 無休
12月〜3月 毎週火曜日(火曜日が祝日の場合は翌日)
年末年始(12/26〜1/1)

料金

大人 800円
小人(小・中学生)400円

駐車場
無料 200台
アクセス

JR宇都宮線 宇都宮駅 西口から関東バス立岩行きで約30分「資料館入口」下車徒歩約5分

東北自動車道 宇都宮ICから約15分

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