日光杉並木は、栃木県の日光地域に広がる、日本を代表する並木道です。日光街道・日光例幣使街道・会津西街道という三つの歴史ある街道にまたがって続くこの並木は、「日光杉並木街道」とも呼ばれ、総延長は約37キロメートルにも及びます。現存する並木杉の端から端までを測った実延長でも35.41キロメートルを誇り、世界一長い並木道としてギネス世界記録に認定されています。
日光杉並木街道は、日本で唯一、国の特別史跡と特別天然記念物の二重指定を受けている極めて貴重な文化財です。正式名称は「特別史跡・特別天然記念物 日光杉並木街道 附 並木寄進碑」といい、歴史的価値と自然的価値の両面から高く評価されています。また、「日本の道100選」や「新・日本街路樹100景」にも選ばれ、日本を代表する景観のひとつとして広く知られています。
日光杉並木の始まりは、江戸時代初期にさかのぼります。徳川家康・秀忠・家光の三代に仕えた重臣、松平正綱が、主君・徳川家康への深い敬愛と感謝の念から、1625年(寛永2年)に植樹を開始しました。家康の死後、日光東照宮が創建され、将軍家や諸大名が日光参詣を行うようになると、江戸から日光へ至る街道は特別な意味を持つようになります。
正綱はこの参道にふさわしい景観を整えるため、紀州から杉の苗木を取り寄せ、20年以上という長い年月をかけて三街道沿いに植樹を続けました。そして1648年(慶安元年)、家康の三十三回忌にあたる年、完成した杉並木を日光東照宮へ寄進しました。この時、並木の起終点四か所には寄進碑が建てられ、現在も当時の志を今に伝えています。
当時、街道の並木といえば松が一般的でしたが、正綱はあえて杉を選びました。その理由については、天を突くように真っ直ぐ伸びる杉の姿に神聖さを感じたからとも、雨や湿気の多い日光の風土に杉が適していると考えたからとも伝えられています。また、杉は年月を重ねるほどに威厳を増し、未来永劫にわたって参詣者を迎える存在になることを見据えての選択だったともいわれています。
江戸時代には日光奉行の管理のもと、枯れた木が出れば必ず補植が行われるなど、手厚い保護がなされてきました。明治維新後は一時、国有化や道路整備により伐採の危機にさらされましたが、地元の人々や専門家の尽力によって大規模な破壊は免れました。特に、地元出身の林学者で「杉並木博士」と呼ばれた鈴木丙馬は、生涯をかけて研究と保護活動に尽力し、保存運動の中心人物として大きな役割を果たしました。
植樹開始から約400年が経過した現在でも、日光杉並木には約12,000本もの杉が生い茂っています。樹高は30〜40メートルに達し、街道を覆うように連なる姿は、まるで天へと続く緑の回廊のようです。一里塚や寄進碑が現存している区間も多く、江戸時代の街道景観を今に伝える貴重な存在となっています。
日光杉並木には、個性豊かな名木や史跡が点在しています。森友地区には、杉に山桜が寄生して共生する珍しい「桜杉」があり、春には杉と桜が一体となった幻想的な姿を見せます。また、根元に大きな空洞があり、大人が数人入れるほどの「並木ホテル」と呼ばれる巨木も人気の見どころです。戊辰戦争の砲撃痕を残す「砲弾打込杉」など、一本一本が歴史を語っています。
現在も日光杉並木街道は生活道路として利用されていますが、自動車の排気ガスや根の損傷、過密な植栽による樹勢低下など、多くの課題を抱えています。そのため、バイパス整備による交通分散や、根圏を守るための工法導入、堆肥による土壌改良など、さまざまな保護対策が進められています。さらに、市民が参加できる「杉並木オーナー制度」も導入され、次世代へ受け継ぐための取り組みが続けられています。
日光杉並木街道は、単なる並木道ではなく、信仰、歴史、自然、そして人々の思いが重なり合って生まれた生きた文化遺産です。静かに街道を歩けば、江戸の昔に日光を目指した人々の足音や、正綱の「末をご覧あれよ」という言葉が、今もなお杉並木の間に響いているかのように感じられるでしょう。