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野口雨情 旧居

(のぐち うじょう きゅうきょ)

野口雨情旧居は、栃木県宇都宮市鶴田町に位置し、日本を代表する童謡詩人・野口雨情が最晩年を過ごした貴重な住居として知られています。雨情は「シャボン玉」「七つの子」「赤い靴」などの名作を生み出した人物であり、北原白秋・西條八十とともに「童謡三大詩人」と称されます。わずか1年間の滞在ながら、地域住民に愛され、現在では旧居一帯がまちづくりの象徴として大切に保存されています。

この旧居は「雨情茶屋離れ(野口雨情旧居)」として、国の登録有形文化財にも指定されています。静かな環境の中に佇むこの建物は、雨情が晩年の穏やかな時間を過ごした空気を今に伝え、訪れる人々に深い感慨与えてくれます。

雨情の晩年と鶴田での暮らし

野口雨情は昭和15年頃から体調を崩し始めながらも、東京・吉祥寺で創作と講演活動を続けていました。しかし戦況の悪化や療養の必要性から、1944年に栃木県河内郡姿川村大字鶴田へ移住。これが野口雨情旧居での生活の始まりです。移住当初、雨情一家は果樹栽培や養鶏に取り組み、静かな農村で穏やかな日々を送ろうとしていました。

しかし病状は次第に悪化し、雨情は縁側でひなたぼっこをしながら静かに過ごす時間が増えていきました。来客には丁寧に応じ、求めに応じて色紙や短冊を書くなど、穏やかで誠実な人柄が偲ばれます。

鶴田で生まれた詩

鶴田で創作された詩は多くはありませんが、確認されている作品として次の二作品が残されています。

夜明け頃やら羽黒山あたり 朝の朝日がほのぼのと」「国のほまれか靖国の 神とまつらる益荒夫は

いずれも、鶴田の穏やかな自然や近隣住民への思いが込められた作品であり、雨情の人柄と晩年の心境を感じ取ることができます。

雨情の最期と住民の記憶

雨情は1945年1月27日、家族に見守られながらこの旧居で生涯を閉じました。当時の鶴田地域では、隣組が葬儀の準備を担う習慣があり、地域の人々は限られた物資の中で雨情の葬儀を心を込めて行いました。戦時下でありながら、住民の温かさが伝わるエピソードが多く残されています。

その後、雨情の妻・つるは農作業を続けながら子育てを行い、地域と共に生活を支えました。戦後になると雨情の作品は多くの人に歌われ、童謡の作詞家としての評価が改めて高まりました。

地域に受け継がれる雨情の精神

旧居周辺では、現在も雨情をしのぶ取り組みが続いています。老人クラブ「雨情寿会」や子ども会「雨情子ども会」など、地域の団体が雨情の名を冠し、伝統を大切に守り続けています。また付近の橋には「雨情陸橋」「雨情橋」と名付けられ、生活の中にも雨情の存在が息づいています。

さらに、命日の1月27日は「雨情の日」として制定され、地域イベントの開催や文化継承の活動が行われています。2023年には地域を巡回するコミュニティバスに「あの町この町号」という愛称がつけられ、童謡文化を地域活性化に生かす取り組みが続けられています。

旧居の建物と当時の面影

野口雨情旧居は、1930年頃に建てられた木造平屋建ての民家で、質素ながら温かみのある造りが特徴です。4つの居室と台所、浴室を備え、広い農地と果樹畑が付属していました。建物は入母屋造桟瓦葺で、外壁は下見板張り。訪れると、雨情が静かに筆を走らせた姿が想像できるような、素朴で落ち着いた佇まいが残されています。

裏手には当時の鹿沼街道が通っていましたが、人通りはほとんどなく、静寂に包まれた環境でした。こうした環境の中で過ごした雨情の晩年の生活は、旧居の空気そのままに今でも感じられるでしょう。

訪れる人に寄り添う文化遺産

野口雨情旧居は、雨情の最期の日々を知るうえで貴重な資料であるとともに、童謡文化と地域のつながりを深く感じられる場所です。歴史や文学に興味がある方はもちろん、静かな時間を過ごしたい方にもおすすめのスポットです。雨情の詩に込められた温かさと、人々に愛されたその姿を、ぜひ現地で感じてみてください。

Information

名称
野口雨情 旧居
(のぐち うじょう きゅうきょ)

宇都宮

栃木県