琵琶塚古墳は、栃木県小山市飯塚に位置する国指定史跡で、古墳時代後期・6世紀初頭に築造されたと考えられている前方後円墳です。全長約124.8メートルを誇り、栃木県内では第2位の規模を持つ大型古墳として知られています。その堂々とした姿は、古代下野国における政治的・文化的中心地としての小山周辺地域の重要性を、現在にまで伝えています。
琵琶塚古墳は、思川と姿川に挟まれた台地上に築かれています。この地形は古代において交通や水利の面で恵まれており、有力な首長が拠点を置くのに適した場所でした。古墳の前方部は南南西を向いており、周囲の地形や集落との関係を意識して配置されたことがうかがえます。
同じ台地の南側には、ほぼ同時期に築かれた摩利支天塚古墳が存在し、両古墳は下毛野地域を代表する歴代首長の墓と考えられています。琵琶塚古墳は、その摩利支天塚古墳に続く二代目首長の墓とみられており、権力の継承と地域支配の構造を考えるうえで重要な遺跡です。
琵琶塚古墳の墳丘は、自然の土ぶくれを巧みに利用した基壇の上に、段築によって築かれています。後円部は三段築成、前方部は二段築成という構造を持ち、当時の高度な土木技術を示しています。
・墳丘長:約124.8メートル
・後円部直径:約75メートル/高さ:約11メートル
・前方部幅:約70メートル/高さ:約9メートル
また、墳丘の周囲には幅約20メートルの周堀が巡らされ、東側と南側では二重の堀が確認されています。これにより、古墳が単なる墓ではなく、権威を誇示する象徴的な施設であったことが理解できます。
2013年度以降、琵琶塚古墳では本格的な発掘調査が行われており、墳丘の1段目・2段目からは円筒埴輪列が確認されています。築造当初は、約1,000本もの円筒埴輪が墳丘を取り囲んでいたと推定され、当時の葬送儀礼の壮大さを物語っています。
これらの埴輪や出土品は、隣接する摩利支天塚古墳とともに、古代下野国における文化や信仰、社会構造を知る貴重な資料となっています。
琵琶塚古墳は、1926年(大正15年)2月24日に国の史跡に指定され、その後1981年には指定範囲が追加されました。約100年にわたって保護されてきたこの古墳は、地域の歴史遺産として高い評価を受けています。
思川・姿川間の台地には、6世紀から7世紀にかけて多くの大型古墳が築かれました。摩利支天塚古墳や吾妻古墳などとともに、琵琶塚古墳はこの地域が下野国の政治的中枢であったことを示しています。律令制成立後も、周辺には下野国府や下野国分寺が置かれ、長く重要な役割を果たしました。
現在の琵琶塚古墳は、史跡公園として整備され、自由に散策することができます。自然地形を生かした墳丘は登りやすく、春には周辺に桜や菜の花が咲き誇り、古代の遺跡と四季の風景を同時に楽しめます。
隣接する国史跡 摩利支天塚・琵琶塚古墳資料館では、出土した埴輪や装身具、武具などを通して、古墳時代の人々の暮らしや信仰を分かりやすく学ぶことができます。入館無料で、歴史初心者から研究者まで幅広く楽しめる施設です。
琵琶塚古墳は、単なる史跡にとどまらず、古代下野の人々の営みや、首長たちの権力と信仰を今に伝える貴重な文化遺産です。静かな墳丘に立つと、約1,500年前の人々がこの地に託した想いを、肌で感じることができるでしょう。