愛宕塚古墳は、栃木県下都賀郡壬生町壬生甲に所在する前方後円墳で、国の史跡に指定されている貴重な古墳です。壬生町周辺に広がるしもつけ古墳群(壬生地域)を構成する重要な古墳の一つであり、古墳時代後期におけるこの地域の政治的・文化的な力を今に伝えています。
愛宕塚古墳は、黒川東岸の台地上に築かれており、古墳のすぐ近くには栃木街道が通っています。周辺には、同じく国指定史跡である車塚古墳や牛塚古墳が点在しており、この一帯が古墳時代における有力豪族の拠点であったことがうかがえます。壬生台地一帯には多くの大型古墳が集中しており、地域全体が古代下野国の中でも重要な勢力圏であったことを示しています。
愛宕塚古墳は二段築成の前方後円墳で、県中央部の大型古墳に特徴的な「第一段平坦面を幅広く造る構造」を備えています。墳丘の長さは第一段が約78メートル、第二段が約55メートルに及び、周溝の底からの高さは後円部・前方部ともに約7メートルあります。
墳丘の周囲には、眉形にめぐる堀(周溝)と土塁(周堤)が良好な状態で残されており、土塁を含めた全体の規模は100メートルを超えます。このように、周囲の防御的構造が明瞭に残る点も、愛宕塚古墳の大きな特徴です。
愛宕塚古墳では本格的な発掘調査が行われていないため、内部構造や副葬品については明らかになっていません。しかし、墳丘や土塁の表面からは埴輪の破片が採集されており、これらの特徴や墳丘形態から、築造時期は6世紀中頃と推定されています。
北側に位置する車塚古墳や牛塚古墳と比較すると、埴輪が立てられていた点などから、愛宕塚古墳はこの地域の大型古墳の中でも最も早い時期に築かれた古墳である可能性が高いと考えられています。
古墳の前方部には愛宕神社が祀られています。この神社は、元禄7年(1694年)に壬生城主であった松平輝貞が、壬生城の鬼門除けとして建立したと伝えられています。古代の墓である古墳の上に、近世の信仰施設が築かれている点は、時代を超えた人々の祈りと土地への思いを感じさせます。
愛宕塚古墳は、1926年(大正15年)2月24日に国の史跡に指定されました。良好な保存状態を保つ墳丘や周溝、そして周辺の古墳群との関係性は、古墳時代後期から律令期にかけての地域史を理解する上で欠かせない存在です。
現在の愛宕塚古墳は、静かな環境の中で古代の景観を感じられる史跡として、多くの見学者を迎えています。近隣の車塚古墳や牛塚古墳とあわせて巡ることで、壬生町が誇る古代史の奥深さをより一層実感することができるでしょう。歴史好きの方はもちろん、散策を楽しみながら学びたい方にもおすすめの史跡です。