山あげ祭は、栃木県那須烏山市で毎年夏に行われる、八雲神社例大祭の奉納行事です。正式には「烏山の山あげ行事」と呼ばれ、国指定重要無形民俗文化財に指定されている、全国でも極めて珍しい移動式の野外歌舞伎舞踊として知られています。
市街地の道路上に仮設の大規模な舞台装置を組み立て、常磐津所作を中心とした歌舞伎舞踊を上演し、その舞台を解体して次の場所へ移動するというダイナミックな形式は、日本の祭礼文化の中でも類例がほとんどありません。高さ10メートルを超える「山」と呼ばれる背景装置と、奥行き約100メートルにも及ぶ舞台空間は、観る者を圧倒する迫力と美しさを備えています。
山あげ祭の起源は、永禄3年(1560年)にまでさかのぼります。当時の烏山城主であった那須資胤(なすすけたね)が、疫病退散・五穀豊穣・天下泰平を祈願し、牛頭天王を烏山に勧請したことが始まりと伝えられています。
当初の奉納行事では、相撲や神楽獅子などが中心でしたが、江戸時代に入って江戸歌舞伎が隆盛すると、常磐津所作が流行します。これを奉納余興として取り入れたことが転機となり、やがて現在のような絢爛豪華な野外歌舞伎舞踊という独自の形態へと発展していきました。
長年にわたり地域住民の手によって守り継がれてきた山あげ祭は、その文化的価値が高く評価され、昭和54年(1979年)2月に国指定重要無形民俗文化財に指定されました。
さらに平成28年(2016年)12月には、日本各地の代表的な祭礼行事33件をまとめた「山・鉾・屋台行事」の一つとして、ユネスコ無形文化遺産にも登録され、世界的にもその価値が認められています。
山あげ祭の最大の特徴である「山」とは、竹を網代状に組んだ木枠に、烏山特産の和紙を幾重にも貼り重ね、山水や滝の風景を描いた「はりか山」のことを指します。
この巨大な山を人力で立ち上げる、すなわち「山をあげる」ことから、「山あげ」という名称が生まれました。江戸中期には、町中に恵みが行き渡るようにとの願いを込めて築山を作ったのが始まりとされ、その大きさや美しさを競ううちに、当時の高級品であった和紙が用いられるようになったと伝えられています。
山あげ祭の舞台は、単なる仮設舞台ではありません。御拝、舞台、座敷、波、館、前山、中山、大山など、数多くの背景装置が、舞台から道路上約100メートルの間に、遠近感を計算し尽くして配置されます。
これらはすべて、当番町の若衆たちによって組み立てられ、所作狂言の進行に合わせて巧みに操作されます。木頭と呼ばれる指揮者の拍子木を合図に、背景が次々と変化する様子は、まさに職人芸と集団美の結晶です。
一つの公演を成立させるためには、約100人から150人にも及ぶ若衆の力が必要とされます。彼らは部門ごとに分かれ、舞台設営、背景操作、音響効果、移動などを担当します。
公演が終わると、舞台装置は瞬時に解体され、「地車」と呼ばれる台車に積み込まれ、次の会場へと向かいます。この設営・解体・移動を一日に何度も繰り返し、3日間で総移動距離は約20キロメートルにも及びます。
現在、山あげ祭で上演される所作狂言は、地元の山あげ祭保存会芸能育成部のメンバーによって演じられています。代表的な演目には次のようなものがあります。
・将門
・戻り橋
・子宝三番叟
・関の扉(下)
・老松
・蛇姫様
中でも「将門」は人気が高く、巨大なガマが登場する演出は山あげ祭の象徴的な場面として、多くの観客を魅了します。煙を吐き、目を光らせながら進むガマの姿は、子どもから大人まで強い印象を残します。
山あげ祭は、7月1日に行われる御注連立式から始まります。齋竹を立て、注連縄を張ることで神域を定め、約1か月に及ぶ例大祭の幕が開きます。
本祭は、7月第4土曜日を含む金・土・日曜日の3日間にわたり行われます。神幸祭、奉納余興、渡御祭、還幸祭と続き、町中が祭り一色に染まります。
笠揃は、本番前に行われる顔見世興行にあたり、若衆が正装で整列し、縁起物の演目が披露されます。一方、笠抜は最終日に行われる千秋楽で、祭りの締めくくりとして特別な意味を持ちます。
山あげ祭は、単なる伝統行事ではなく、那須烏山市の歴史、文化、人々の誇りが凝縮された一大イベントです。期間中は多くの露店が立ち並び、県内外から訪れる観光客で大変な賑わいを見せます。
昼間の力強い舞台設営と、夜に照明や音響で幻想的に演出される歌舞伎舞踊、その両方を楽しめる点も大きな魅力です。日本の祭礼文化の奥深さと、地域の結束力を肌で感じられる山あげ祭は、まさに一生に一度は訪れたい祭りといえるでしょう。
少子高齢化や担い手不足といった課題を抱えながらも、山あげ祭は地域全体の努力によって守り継がれています。若衆たちの熱意と、町を越えた協力体制は、この祭りが今後も生き続ける力の源です。
460年以上の歴史を持つ山あげ祭は、過去から現在、そして未来へと、那須烏山市の心をつなぐ大切な文化遺産として、これからも人々を魅了し続けていくことでしょう。