那須官衙遺跡は、栃木県那須郡那珂川町に所在する、奈良時代から平安時代にかけての古代官衙(かんが:地方行政機関)の遺跡です。1976年(昭和51年)6月7日に国の史跡に指定され、現在は一部が史跡公園として整備され、古代の地方行政の姿を今に伝えています。
この遺跡は、那珂川と箒川が合流する地点近く、箒川によって形成された右岸の段丘上に位置しています。水運と陸上交通の両面で恵まれた立地であり、古代において地域を統治・管理する拠点が置かれるのにふさわしい場所であったと考えられています。
那須官衙遺跡は、昭和初期の頃から古瓦が地表に散布していることが知られており、長らく「梅曽廃寺跡」と呼ばれていました。さらに昭和15年には、後に国の重要文化財となる銅印「萪□私印(かこくしいん)」が発見され、この地が古代において重要な役割を担っていたことが注目されるようになります。
昭和30年には寺院跡としての全容解明を目的とした発掘調査が行われましたが、昭和42年以降、圃場整備に伴う本格的な発掘調査が進められたことで、状況は大きく変わります。調査の結果、広範囲にわたって倉庫とみられる建物跡や整然と配置された建物群が確認され、ここが寺院ではなく、地方行政を司る郡衙跡であることが明らかとなりました。
那須官衙遺跡は、「ふるさとの森公園」のふもとに広がっており、発掘調査では多数の掘立柱建物跡や礎石建物跡が、計画的かつ整然と並んで検出されています。この配置は、偶然形成された集落ではなく、明確な意図をもって設計された官衙施設であることを示しています。
また、硯の破片や墨書土器といった出土品が数多く見つかっている点も、この遺跡の性格を裏付けています。これらの遺物は、文書作成や記録管理が行われていたことを示し、那須官衙遺跡が那須郡の行政の中枢、すなわち郡役所として機能していたことを物語っています。
遺跡の範囲は、南北約200メートル、東西約400〜600メートルにも及び、溝によって西・中央・東・南東の4つのブロックに区画されていることが確認されています。こうした明確な区画は、古代官衙の計画性をよく示すものです。
西ブロックは、幅約4メートル、深さ約1メートルの大溝によって囲まれた、ほぼ一辺200メートルの不正方形の区画です。この中からは、総柱式の掘立柱建物が多数検出されており、租税として集められた穀物や物資を保管する倉庫群(倉院)であったと考えられています。
中央ブロックからは、礎石を用いた大型の建物跡が確認されており、格式の高い倉庫、あるいは行政に関わる重要施設であった可能性があります。一方、東ブロックは、日常的な行政実務が行われた事務官衙の中心と推定されています。
これらの南側には、役人の居住や接遇の場であった館、またはそれに付随する厨(くりや)の存在が想定されており、その関連施設が南東ブロックにあったと考えられています。
那須官衙遺跡の成立は7世紀末から8世紀初頭、終焉は10世紀前半と推定されています。奈良時代の律令制度のもとで整備された地方行政機構が、平安時代に至るまで長く機能していたことを示す、きわめて貴重な遺跡です。
周辺には、国の史跡である侍塚古墳をはじめとする古墳群や、国宝指定の那須国造碑が所在しており、この地域が古代から政治的・文化的に重要な拠点であったことがうかがえます。こうした歴史地理的環境を踏まえると、那須官衙遺跡は官衙的色彩の極めて強い遺跡であると評価されています。
現在、那須官衙遺跡は史跡公園として整備され、礎石建物跡などを間近に見学することができます。また、出土品の多くは、那珂川町なす風土記の丘資料館や東京国立博物館で展示されており、遺跡とあわせて見学することで理解がより深まります。
電車・バス:JR西那須野駅東口から関東バス「馬頭車庫行き」に乗車し、「上町」下車、徒歩約10分。
車:東北自動車道・矢板ICから約40分。
古代那須郡の行政を支えた中枢施設の姿を、現地で感じ取ることができる那須官衙遺跡は、歴史や考古学に関心のある方はもちろん、観光で那珂川町を訪れる方にもぜひ立ち寄っていただきたい史跡です。